Words 1

Newcastle

Posted in 2010.6.4 | permalink

Keri Nobleというアーティストの音楽を聴いている、たった今。

とてもびっくりしている。突然、過去にあったある時期の気持ちが鮮明によみがえってきたのだ。僕にそんな時期があったのだ。忘れていたと思う。音楽とは何なのでしょう。この気持ちが消える前に書きたい。そう思いはじめたらもうあやしい、早くしないと

僕は、イギリスのニューキャッスルという町に住んでいたことがある。大学の中にある学生寮の最上階に僕の部屋はあった。窓から見える、ニューキャッスルスタジアム付近に沈む夕日は、絶景だった。あの国であの町ではもう本当に様々なことを考えに考え、そして悩みに悩みまくった。日本から、各国から、たくさん友達が会いに来てくれた。母親も弟も来た。地図で見るとあの島国は日本とこんなにも離れている。僕はあそこにいたのだ。どう理解していいのか分からない。人生とは、時期時期によってこんなにも違う生活、経験をするものなのでしょうか。国が違うとかそういうのではない。心が違う。自分がまるで別人のようだ。本当に僕一人の人生か。そう。あれもこれも全部僕なのだ。巡り会った人達の顔が、次々と浮かんでくる。今もう一度、つかもうとしてみる

挫折の日々。目にはっきりと見えるイギリス階級社会の悲観的側面。人種差別。アジア人である私。アメリカのミサイル発射、イラク戦争開戦。慣れない環境の中、身体中に湿疹、両目は感染症にかかり、身も心も一度完全にその気力を失った。廃人とはあのようなことか。毎日のBBCニュースが、そのブリティッシュな音声が、終わらない悪夢のようだった。

それなのに何故だろう。たった今、音楽に運ばれるようにして心に戻ってきた約7・8年前の生活の風景、感情。それらはすべて、今となっては全く愛おしいものとして浮かび上がってくるのだ。取り戻すことのできない日々。感性。私はあの地でかけがえのない経験をし、かけがえのない友情を育んだ。こうしてここに書きながら、あの頃を今一度理解しようとしている。あの頃の心を必死で探している。忘れていたのだ。あの頃に聴いた音楽、あの頃に見た世界、あの頃に語り合ったこと、あの頃もっとも大切としたもの。青く、無知で、未熟であった。しかし今の私にはないひらめき、思い込む力、信じる力があった。忘れていたのだ、覚えているふりをして何もかも。過去もすべて連れていかなければ。すべてを吐きだしたい

Keri Nobleという人はアメリカの人だと思う。私の経験はすべてイギリスでのこと。今聴いているfearlessというアルバムは、イギリスで聴いていたものでもなんでもない。つい二年ほど前に、妻から教えてもらったばかりのアルバムだ。Keriに思い入れがあるわけでもない。アルバムもこの一枚しか聞いたことがない。一見、これらの楽曲に私のあの頃との接点はない。それなのに何故、私のこんなにもパーソナルな記憶、思い出、感情を呼び起こすのか。音楽には不思議な力がある。

あの頃の演劇科のクラスメート達は、英国で俳優になっただろうか。お母さんになった人もいるだろうなあ。先生になった人も、まったく違うお仕事に就いた人も、世界を旅して回っている人も、まだまだ模索中の人もいるだろう。僕ら、何になっていたっていいよね。みなはどうしているだろう。元気だろうか。いつか、みなのその後の人生について聞いてみたい